まるっとゆめ♪note 学ぶべきものはナニカ
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毒親育ち×HSPによる子育て備忘録。時々、解毒剤&中和剤制作中♪ リンクフリー(*˘︶˘*).。.:*♡

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ぷろふぃーる
5歳の女の子のかあちゃん
  「ゆめ」です(*˘︶˘*).。.:*♡

このブログは育児のことをメインに、人生において「学ぶべきものはナニカ」について「誰かのナニカの足しになれば」と、自分の考えていることを発信中。

かあちゃんは「真面目でチャランポラン」になることを目指し、「まるっと」人を包むような優しさを持ち合わせていけたらなぁと思っています♪

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さくひんしゅう
こそだてぎょうじとらのまき
我が家の行事日記をまとめてみました。多くのかあちゃんたちのナニカの足しになればと記事にしてみました。長文注意。
こそだてかんごとらのまき
悩みは尽きない子育て中に困ったカラダのこと。多くのかあちゃんたちのナニカの足しになればと記事にしてみました。長文注意。
ずぼらりょうりれしぴとらのまき
作り方は手抜きですが美味しいです。ズボラになりたい人のナニカの足しになれたらと記事にしました。長文注意。

学ぶべきものはナニカ

【はじめに】

精神的に病んでいる人やそのご家族、またこの手の話が苦手な人は読み控えていただいたほうが良いですよ。気分を害す可能性が十分にあると思っています。責任は負えないので、一応、その辺りは宜しくお願いしますね_(._.)_

私の成長の証として文章化したかった。そしてもし誰かのナニカの足しになれたなら、それはとても素敵なことだとなぁと思い記事にしました。このブログ、色んな事を記事にしていこうと思っているので「ライフワーク」になりそうな予感があり、ちょっとワクワクしています(*^^*)

もし私のことを知っている人が読んだら、驚かれたり、引かれたり、縁遠くなったりなどなど、色々な反応があると思うけど、他人の承認がなくても「大丈夫な私」になりました。あ、でもやっぱりちょっとはドキドキはしますし、会ったこともない人から叩かれたりするのは怖いですけどね。一応、お店のブログでもあるのでおかしい感じですが、「だからこそ記事にしてみた」というのもあります。この世界で「生きにくさ」を感じている多くの人に読んで欲しいから、そして「今を生きる」という「人生の通過点」を大切にして欲しいと思っています。

快晴 

※読みやすさを重視しているので長文注意です!!後半は、なんだか飛び跳ねた文章になってます。私らしい感じですが、読みにくいかもしれません。ま、ほぼ完成してると思います!!!

【自己否定してしまう私】

あんなに苦しんだ日々がウソの様。幾度となく「私は大丈夫」だと言い聞かせ、私の全てを嘆いていました。発狂しそうな私を慰めながら、やり過ごし、途方にくれた自問自答の日々。


物心ついた頃から感じていた周りのお友達との違和感。良く言えば、とにかく感受性が強く想像力が半端なかったんです。そのせいで世界が恐くて、母親の後ろに隠れていたいのに、無理やり前に押し出された。だから保育園に通うのも、小学校へ通うのも辛かったです。ある程度慣れてしまえば、安全だと理解したら、平気だったんですけどね。でも発表会とか授業参観とか、とにかく人から注目を浴びることに、「必要以上」にビクビクと怯えていました。そして小4から小5にかけて自覚した「お母さんは私が死んでも悲しんでくれるだろうか」という「安全基地」への揺らぎ。

幼少期から毎日、怒られるばかりの日々だったように思います。記憶は都合よく改ざんされますし、強化されますのでなんとも言えませんが、褒められたと思う微かな記憶ですら「やればできる子」と言われた程度のことしか残っていないのです。私が大きくなるにつれ、当然のように怒られることは増えていきます。「間違ったしつけ」によって、怒られ、指摘され、失敗を恐れ、萎縮し、萎縮するから失敗する。そんな日常が当たり前となって「失敗を余儀なくされる私」ができ上がり悪循環となっていました。どうせ失敗して怒られるなら、何もしないほうがいいし、どうせ私は何もできないのだから、「やればできる子」を常に演じれる訳もなく、例えやったとしても失敗は余儀なくされているので、いつも私は「ダメな子」でした。そして私は「いらない子」なのではないかと、一層「安全基地」への揺らぎが強まったのです。

大きな原因は、母親のコンプレックスでもある「勉強」を、私ができなかったことでしょう。他人からの私への評価は、もれなく親への評価に繋がります。私のできなさを盾にして、親も「必要以上」にビクビクと怯えていたのかもしれません。ここでは「私を一人前に育てるために必死だったのだ」と擁護しておきます。そんな私は勉強をするよりも絵を描いたりするほうが楽しく、いくらでも時を忘れられました。空想の世界なら自分のココロを抑圧する必要がなかったんですよね。それでも限界はやってきました。「そんなことをしても何にもならないから勉強しなさい」と母親に怒られる度に積み重なった「現実逃避への無力感」は、「お母さんは私が死んでも悲しんでくれるだろうか」という思考を強化し、「リストカット」について考える日々になりました。「間違ったしつけ」の積み重ねが続いて成人になった頃、新しい環境に置かれたり、心身どちらかでも疲労を感じたときに「死にたい」という呪詛が拍車をかけて私に襲いかかるようになりました。もう生理前とか、勝手に思考が自動的に変換されてしまい、「死にたい」という単語と感情がグルグルと頭の中を駆け回っていたんですよね。この現象、冷静な状態の私から見ても、さっぱり意味が分かりません。脳をハードと例えるなら、脳がバグっている状態なんだと思います。脳内の分泌物が制御不能なんでしょうね。そして常に欠乏してることが多いのか、「快」を得られる物質が欲しくて、チョコレートとかの甘い物ばかりを食べて補っていました。

持って生まれた「感受性が強い」などの「気質」に「間違ったしつけ(環境)」が積み重なった年月は、私の「土台」に大きな傷をつけました。子どもは親に支配されやすく、支配された子どもは親の機嫌を伺いながら、親が好む態度を「無自覚」にしてしまいます。だって産まれてきた以上、本能的に「生きたい」と思っているから、好かれた方がその確率は上がりますもんね。これは食物連鎖の仕組みや弱肉強食の世界が教えてくれていると思います。だから幼い子どもってある意味「純粋無垢」であるし、私は「無自覚」にも「ダメな子」と刷り込まれました。私のココロが過度に抑圧されて育った結果、「自己否定してしまう私」が作られ、「生きたい」けど「死にたい」という「矛盾」がココロ中を支配したのです。それは感受性が強く想像力の半端ない私には、かなりの大きな苦痛の振れ幅となりました。だから周りのお友達との違和感を感じ、この世界で「生きること」への恐怖と苦痛を「必要以上」に強いられたのです。1か0か、正と悪、光と影、表と裏など、ココロの「矛盾」をバランス良くコントロールするには、この「矛盾」から解放されるにはどうしたら良いのでしょうね。もし「矛盾」もなく寄り添うことができたなら、そして「全ては自己満足に集約し、全てに意味があり、全てに意味はないのだから」とココロへ深く刻むことができたなら、私は「楽」に生きられるのではないだろうか。

それでも学生時代はなんとか楽しみを見出して生きてきました。頭の調子が良い日もあれば悪い日もありましたけどね。そして頭の調子が悪いことをひたすら隠し通すために、とにかく親元を離れたくて、逃げるように色々な理屈をこねて、20歳で1人暮らしを始める許可を得ました。当時の私は「死にたい」と頭の中でグルグルしては、自分のリストカット映像を浮かび上がらせて、そうしてしまうことを責め、意味不明の現象なので途方にくれ、自分の全てを呪い嘆いていました。そんな自己否定の日々に救いの手を伸ばしてくれたのが、当時、20歳の旦那さまでした。こんなに自分のことを「醜い」と感じている私のことを、「好き」だと言ってくれる人がいる状況というのは、私にとって衝撃的であり、信じがたく、今を逃したらもう誰もいないのではないかと危機感すらありました。そして「好きだと思う人に好かれる」というココロの安定感を初めて知りました。

自分の旦那さまを褒めるのは、ちょっと嫌だし、釈然としないけれど、彼ほど思考能力が高く、知識も豊富な人に、今も昔も私は出逢ったことがないです。私は独りで考えていると、結局いつもと同じところに戻ってきて途方に暮れることが多かったけれど、「人間の行為は結局全て自己満足」という彼の言葉をきっかけに「自身に起こっている全てを自覚する作業」が始まりました。私に足りなかった知識や能力を補ってくれ、彼はその作業を側で手伝ってくれました。

ま、旦那さま、3年程で私に疲れて逃げ出したんだけどねwww

ハート 

【無条件の愛】

「自己否定してしまう私」は、勝手に「渇愛ちゃん」が叫んでしまうんですよね。渇愛ちゃんが「私の力では満たせないから、貴方の愛で埋めたいの。足りないから助けてよ!自愛ちゃんが泣いてるよ」って北風がピューピュー吹き荒れます。いくら「無条件の愛」を毎日注いであげても、私の「土台」に穴が空いてたらだだ漏れですもんね。そりゃあ旦那さまもお手上げで逃げ出すわけだと、今では納得してますwま、今でもムカつきますけどね。それでも短期間であれ「無条件の愛もどき」を手に入れた私には、「死にたい」と思うけど今までにないココロの安定感のある日々だったのです。だからこそ愛着をもっていて、私とは正反対で眩しく尊敬もしているから、復縁に至ったわけですが、「自己否定をする私」への治療薬となったのは「自身に起こっている全てを自覚する作業」でした。つまり、常に自分を治すために「学ぶべきものはナニカ」と自問自答する途方に暮れる作業を繰り返したのです。でも旦那さまと別れた最初の頃は、「無自覚」にも「ココロを飼いならすことができる私」を目指していたように思います。そうすればココロの安定感のある日々が戻ってくる、そして旦那さまも戻ってくると勘違いしていました。

ところで「無条件の愛」って、本来「安全基地」である親からもらうものなんですよね。そしてそのことで自分の中に、この世界で自立して生き抜くために必要な「土台」ができるんです。

でも私の親は「条件付きの愛」しかくれませんでした。それは私が「良い子」のときだけでした。「良い子」のときだけは、母親の機嫌が良いので、私は怒られず、好かれていると感じられた。でも日常のほとんどの場面では失敗を余儀なくされて怒られてしまう「悪い子」の私だから、母親の機嫌が悪いほうが多く、その日々の積み重ねが「私がダメな子だから母親に嫌われている」と感じさせていたのです。母親の機嫌で幼い私の世界の全てが決まっていたのだから、大人になっても「土台」は不完全であり不安定なのは当たり前ですよね。「間違ったしつけ」では、母親の気分次第で「私の言動」が評価され、そこから「怒る」という行為に至るので、一歩間違えたら「しつけと称した虐待」と捉えることができます。そうすると「怒る」と「叱る」の違いが見えてくるのではないでしょうか。でも私は「母親が虐待をした」とは思えなかったし、「虐待された私」というレッテルも貼りたくなかった。だから「間違ったしつけ」と表記しているんですよ。

【環境の変化への対処法】

さて、私も心療内科へ2回受診をしたことがあります。1回目は、認知症病棟に就職をした1年目。「職場の人からどう思われるているが怖くて、言われてもないのにもしかしたら悪く思われてるかもしれない」と、やや勝手な被害妄想気味になり眠れなかったときです。幻聴とかではなく、勝手に頭の中に湧いてくるというか、そう思ってしまう感じで、「違うのは頭では分かってるけど出勤するのが恐い」という状況になり、「どうにかしなくてはこの先も環境が変化する度にダメな私に直面してしまう」と未来への恐怖が膨らみました。そしてこのままではダメだと思ったから受診に踏み切ったのです。臨床的には診断がつくような被害妄想ではないのかもしれません。冷静な私だけでいられないから「何甘えたこと言ってるんだ」では片付けられません。私は「必要以上」に苦しみ恐れて嘆いていたんですよ。それでも受診することに、かなりの抵抗がありました。自らレッテルを貼りに行くしかない、「周りとは違う私」を認めるのが嫌だったからです。お薬を処方するためには何らかの診断名をつけないといけないので、不安障害・睡眠障害・適応障害とか何らかの診断基準でつけているとは思いますが、結局は頓服を頂いて終わりでした。それをお守り代わりに職場へ持っていき、「飲んでしまったら私のナニカに負けてしまう」と感じてそれを使うこともなく、ただ苦痛の日々をやり過ごしながら、先輩のおかげもあって仕事に慣れることができました。2年目には後輩もできて、自分よりもできない子がいることでココロ持ちも安定し、この職場ではある程度のことは学んだから飛躍の時だとばかりに就職5年目に職場をかえました。

次の職場は亜急性期のリハビリ病棟でした。今まで3交代勤務の準夜勤しかしていなかったので、2交代勤務になって体に合わず、睡眠パターンが混乱し、それに加えてお局様のイビリが原因で2回目の受診をしました。周りの人からあとで教えてもらうと「卒なく仕事をこなしてしまう私」が気に入らなかったようです。自分で言うのもなんですが、看護能力とか高かったみたいですよw人より「気づき」が多いんです。患者さんという役割の人が相手だと、「無意識」に看護師という役割に徹して「弱者は守らなくては」と思うので、人を人として「ありのまま」に捉えることができるから、「その人に今、何が必要か」が、感覚的に分かるんですよね。それで必要な看護を簡単に提供できちゃうように見えるわけですが、あらゆる可能性を考えた結果、導き出してるだけなんです。で、2回目の職場は人間関係が最悪だっただけなので、睡眠導入剤を使ったりして耐えることも考えましたが、看護の知識が増えそうにもなく人間関係が悪い職場だったので、そこへ無理をして留まる価値を見出せませんでした。体を壊したら元も子もないし大損と考えて半年でやめちゃいました。この辺りスッキリした考えを持てるようになっていました。

そして3ヶ月ほど休憩して、どうしても人のココロが知りたくて、私とはナニカが知りたくて、そして「自己否定してしまう私」を治してやりたかったので、「当たり前の医療を求めて40年程まえに立ち上げた」という精神科へ再就職しました。40年くらい前って、ちょっと変な人はすぐに収容されちゃったりで人権なんてなかったですよね。詳しく知りたい方は、石川信義さんの「心病める人たち-開かれた精神医療へ-」、大熊一夫さんの「ルポ・精神病棟」とかを読んでいただいたら良いかと思います。こんな時代もあったんですよ。見え方が変わっただけで、実は今も、本質的なことは何も変わってないのかもしれませんが。

おもちゃ病院をはじめよう!① 

【精神科医療】

看護大学を卒業してから結婚するまでの9年程、精神科看護に携わり、患者さんを通して自身を見つめる作業をしていました。もちろん自分の「負」の部分はきちんと隠していたので、かつてはカリスマだった院長から「あなたは精神科看護を担うために産まれてきたようだ」とまで言われました。まぁ、私がココへ片足突っ込んでると思っていたのでチャンチャラ可笑しかったですが、ちょっと嬉しくもありました。私は人の役に立てているのだと。だって渇愛ちゃん、他人からの承認に飢えてますから。

・・・・・。

私は知っています。「薬だけ」ではどうにもならない人ばかりだということを。理性で自身を宥めながら「自覚」する能力を持っていない人は、気の毒なことに多いです。私のようにこの能力がある人でも、柔軟性に欠けていると、「自覚」した内容は自分の中で「確かなこと」となってしまい、理性で少しココロを飼いならせたから「良くなった」と勘違いしてしまう危うい脆さがあります。本人にとって「確かなこと」でも実は他者から見たら「妄想」でしかないことは多いですよ。だから価値観をできるだけ押し付けないよう、私も気をつけないといけませんね。でも「自身に起こっている全てを自覚する作業」は私には効果的だったから、ついつい人にも勧めたくなって記事にしてみようと思いました。ここで「お節介おばちゃんの本領発揮」です!途方に暮れる、かなりの苦痛を強いられる作業だとしても、必ず「根本的な治療に繋がる」と私は確信してるからです。

なので精神科業界でもちょっと流行った「認知行動療法」は少しだけ画期的だと思いました。でもこれを医療として提供できるレベルにあるのかというと、それは絶望的な印象です。医療関係者の個々の質や能力が問われるし、いくらプログラム化して画一的に質や能力を底上げできたとしても、患者さんの「脆弱さ」さえ補うことは困難だと思うし、まして「負」には到底追いつかないだろうと。そして「認知行動療法」が唯一無二の薬であったとしても、それを提供できるだけの、仕事として実行するためのマンパワーが足りなさすぎなのです。精神科の医療関係者でさえ、当人がちょっとした「負」を抱えていたり「負」への理解を持って仕事をしていても、私を取り巻く周囲の人たちの思考が浅過ぎると感じてしまった私。ここでも周りの人との違和感があり、周りの大丈夫そうに見える大人や重度の患者さんと比べても、やはり私は人間として「異質」なのではないかと思ったのです。そして「私の周りの人って馬鹿ばっかり」だと思い始めました。それは「自己否定してしまう私」をこれ以上否定する要素を見出すことができなかったからです。このとき初めて他者への攻撃的なココロをはっきり自覚したと同時に、私はやっぱり「醜い」のだと思い知ったのです。でもそんな言動をとって仕事はできませんよね。あっという間に人間関係が壊れてしまうので、仕事が円滑に進むように、「負」の私はひた隠しながらココロを抑圧し、皆の潤滑油になるべく立ち回る日々となりました。働きやすい職場は、患者さんの「安全基地もどきのもどき」くらいは与えてくれるかもしれないと思い、「少しでも患者さんの苦痛が和らいだらいいなぁ」の一点だけを目的として、そしてそれは私の苦痛を取り除く薬になるだろうと考えていました。

精神科医療の現場で経験を積む中、正直、精神科医療では患者さんに大した手助けはできないと、私は結論づけました。せいぜいその場しのぎの頓服薬代わり程度の関わりにしかならない。でも患者さんがその医療行為で日々をやり過ごせたり、何らかの理由で生きることが少しでも楽になったり、幸せに生を全うできるなら、それはそれで素晴らしいことだとも思っています。良くも悪くも「無自覚」な人が多い世知辛い世の中、如何なるときも「人の温かみ」ってとっても大事ですよね。

だけど「異質」な私には「人の温かみ」に甘えきるのは無理だった。「土台」が不完全で不安定な私には、どうしても人を「純粋無垢」に信用することができず、根底から治癒することを望んでいました。同じ場所をグルグルしているように思えて途方に暮れてしまう日々。そして無自覚にも振り切ってしまう人のこと、究極的には「命を絶ってしまう人」のことを羨ましくも思っていました。「もし私がそうであったならどんなに楽なんだろう」と…とってもひどい話ですよね。「自己否定してしまう私」は、「純粋無垢でありたいと願う」からこそ「醜い」と思うんですよ。

アインシュタインは「光以上の速度を出すことができたら過去へ電報を送れるだろう」と言ったそうです。なので「もしかしたら未来で私は既に死んでいるのかも」と考えることもありましたが、「私が生きているだろう未来から電報が届かないのは、未来の私が幸せだから」と慰めながらやり過ごしていました。それに加えて途方に暮れる作業を始めてから「この光景を見たことあるような気がする」とか「何故か懐かしいと思わせてくれるココロの動き」とかのデジャビュ的な現象が良く起こったので、脳の勘違いとは思いつつも「この生き方で大丈夫。正解なんだ」と思うようにしていきました。

なので私は自傷行為なんて、馬鹿げた、自分にとって社会的に不利なことは人生において一度もしていません。悩み苦しんだ末の自傷行為は渇愛ちゃんを満たす行動とはかけ離れているはずなのに、それを実行することで一時的にも宥めちゃう「偽薬」です。私がリストカットの映像のみで宥められているのは、それだけ私が強かったのか、それとも弱かったのか、何を持って測ったら良いのか分かりませんが、多くの患者さんが抱えている「脆弱さ」を私は持ち合わせていなかったのだと思っています。私は「異質」であるが故に、人間でありたい、楽に生きたい、自分を大切にしたい。私はチョコレートを貪ることで他人に迷惑をかけず、自分の不利にならないように対処してきました。チョコレートも「偽薬」なんですよ。更に言えば他害行為なんてもっての他です。自己否定する人が他害をするとき、それはすでに「人間ではない」と考えています。私は「人間でありたい」ので他害行為はしません。「人間でありたい」と願うことは社会性を維持するストッパーになります。だから人間として扱われず、「人の温かみ」を与えられなかった人は、他害行為をするようになるのでしょう。

【普通とは】

さて「自傷行為をするのは病気のせいである」という考え方は、どんな人にとっても聞こえが良い気休めですが、そういうふうにしか言えないのも事実です。薬を飲んで症状を押さえ込むことしか方法がない精神科医療の現状を鑑みるに、患者さんにとっては精神薬が「唯一無二の拠り所」。それで脳内の活発な反応を押さえ込んでいる内に、何らかの理由で心身ともに「楽」になって治ってしまう人はとてもラッキーな人だと思います。精神科医療では、患者さんの大半がそうして治っていくという言い方もあれば、生涯上手く付き合っていく病気という言い方もあります。早期発見、早期治療を行えば大丈夫だと精神科や心療内科へ気軽に足が向くような宣伝すらあります。それはある意味正しいし、間違いだとも思います。自らレッテルを貼りに行くなんて、私の場合は相当の「覚悟」が必要だったので、気軽に受診できちゃうのは信じられません。中には「無自覚」に渇愛ちゃんがそうさせる人もいるのでしょう。心配されたいココロ、甘えたいココロを意識的にコントロールするのはなかなか難しいですよね。こんな話をしていると、どこからか人権侵害だとか差別だとかいう人が出てきそうな感じですが、良くも悪くも「弱者」と言われている人たちが「無自覚」に「正義」を振り回す時代です。それは「甘え」でもあり、それもまた「唯一無二の拠り所」だからなのですが、私は「どうにかしなくては」という「状況打破」のために心療内科を受診しました。世の中の全てが詭弁としか思えない私。多くの人が、良くも悪くも「無自覚」に人生を過ごしているから、何らかの情報操作があるとしか思えません。自殺予防に貢献とか、薬がたくさん売れると儲かるとか、切り捨て社会の濃度を薄めるとか、考えだしたらきりがないのです。精神科に社会的入院を強いられた背景や、その時代に依存してしまった人たちがいます。依存したくなくても、結果的に、「無自覚」に依存せざるをえなかった人たちもいます。「弱者」であることに甘えるのは、苦痛を強いられて耐えられない患者さんにとっては「楽」なのでしょう。同じ「楽」であるならば、私は甘えるのではなく治したい。今は自立支援という聞こえの良い施策の名のもとに、社会的入院と位置付けられている患者さんが、突然、「無理やり社会に放り出された」という人もいれば、それをきっかけに表面的にはなんとか社会で病気と付き合えている人、とってもラッキーなことに良くなったように見える人もいます。

更に言えば、精神科医療の元で「確実な」与薬がなされて、考えうる精一杯の介入をしても、あまり改善しない患者さんを目の当たりにすると、「何も施せてないのでは」という「無力感」を覚えます。そして精神薬を与薬する行為が「無力感」に対する「唯一無二の拠り所」にもなります。精神薬頼りの医療を受ける中で患者さんも学びます。糖尿病などの慢性疾患の病気をお持ちの方は分かると思いますが、毎日、お薬を飲むのって辛いときもありますよね。大した効果が得られないと分かると、なおさらです。患者さんは薬を飲むという経験を通して、「唯一無二の拠り所」のはずの精神薬で自分が治らないことを知るのです。効果は微々たるほどなのに副作用が苦しい。薬を飲まなくても「苦」、飲んでも「苦」。同じ「苦」であるならば、「苦」は「自分のせい」ではなく「100%病気のせい」だと考えるほうが「楽」ですよね。こうして理性が病気と医療に蝕まれていきます。理性による「確かなこと」は「妄想」に変質し、病気による「妄想」と相まって、冷静な判断ができなくなる。それはともすれば「生き抜こうとする本能」が「病気の中に留まり続けること」を選択させているように映ることさえあります。だからこそ「人間でありたい」が故に、「人間である」うちに「楽」になりたいと、冷静な判断ができる内に「命を断つこと」を選択してしまう人もいる。その死は「自分は人間であり続けた」という証明にも見えます。軽々しく扱えない言葉だとは知っていますが、これは「尊厳死」であり、自分に施した「安楽死」とさえ思えてくるのです。決して「自ら命を断つ」ことを推奨してるわけではないですよ。ただ、残された人たちの「喪失感」「後悔」「満足感」「安堵感」などが交錯する複雑な苦しみのココロを思うと、私は「死ねなかった」のです。病気の中に留まる「脆弱さ」と、命を断つ「脆弱さ」と、そしてそのどちらにも振り切れない「脆弱さ」。私は振り切れなかったからこそ「今」を手に入れました。そうさせなかった私を取り巻く全ての環境に、母親から受け継いだ「ストッパー」に、「人の温かみ」にも感謝をしています。だから縁って不思議だと思うのですが、私は「運が良かった」と思うし、患者さんのことを「気の毒」としか言い表せません。

「無理やり社会に放り出された」ことで上手くいった人を良かったと思う一方で、その対象にすらならなかった人たちがいることを私は見てきました。そして今後も、画期的な治療薬や治療手法が開発されない限り、通院で何とか苦しみを誤魔化してやり過ごして生きるか、精神科病院へ留まり続けるか、もしくは収容し続けるしか「術」が無いことを、社会が隠蔽したらダメだと思っています。今は、昔よりも少し効果的な薬があって、早期発見・早期治療ができて、押さえ込むことができて、社会で生活ができれば「治った」と診断する傾向にあります。「病気と上手く付き合う」ことができれば、それで良しとなっています。この現状でどうして「大半の人が治る」と言えてしまうのか、なぜ「上手く付き合うのが精一杯」である現状を隠蔽してしまうのか。この社会を腹立たしく思っています。

でも矛盾するようですがそれは「しょうがない」ことだとも思ってしまいます。全ての人がある程度「自覚的」でないと対処しきれない「負」は「社会の毒」になってしまうからです。だから「いじめ」のように、ちょっと変な人がいると「無自覚」に集団から排除してしまうんですよね。集団を大切にする空気が、集団に馴染めない人を攻撃することをそれとなく正当化してしまうんです。あれだけ「個性を大切に」という言葉は耳にするのに、「個性」を大切にしにくい日本社会の現状。だからこそ、もう少し世の中の全ての人が「自覚的」になって欲しいと願い、色んな人がいて良いはずなのに「私の周りの人って馬鹿ばっかり」と思い、そんな私を「醜い」と「自覚」して「自己否定」しまうのです。

私の頭はハード的にバグっていますが、そんな私から見て、バグっているを通り越してもうエラーになって頭が振り切れているとしか思えない患者さんたちを見てきました。それでも生にしがみつく人、あっけなく逝ってしまう人、そして患者さんを取り巻く家族。それは私にはやはり「気の毒」としか言い表せません。そして非情にも「私はココの住人ではない」と思い、そうでありたいと「強く」願うのです。こんな私が精神科医療を語ったり、携わる資格は無いのかもしれません。でも今後も利益になりそうにない「負」はひた隠しながらも、また何かしらの看護に携わるつもりですよ。ありのままの患者さんを見れるのは、人を人として捉えることができるのは、私の強みであり、私のココロの支えであり、そして人の役に立ちたいからです。専業主婦をしているのでいつになるか分かりませんし、独りよがりの可能性も捨てきれませんが、それでも「自覚的」に献身的な看護を実践できると知っています。

この途方もない作業、自分を治すために「学ぶべきものはナニカ」を本格的に考え始めて今年で15年が経ちました。何気に人生の半分程度を費やしています。って、そんなに年を食っているつもりもないのですが、「死にたい」と思った分だけ「私は大丈夫、全てが上手くいく」と長い年月をかけて暗示をかけました。特に、旦那さまが誰かと結婚して子どもをもうけていると知ったときから、自分への呪詛との戦いが激しくなりました。ただただやり過ごして、渇愛ちゃんに暗示をかける毎日でもあったと思います。誰も私がそんな状況にあるとは思いもしなかったでしょうね。私は「普通に」仕事をしながら「普通に」日常生活を送って、職場の人と飲み会をしたり、友達と旅行をしたり、歌うことで自己表現をしてみたり、ごく当たり前の「普通」を、「楽しい日々」を過ごしていたのだから。あ、絶対に誤解しないでくださいね。その時はもちろん「楽しかった」んですよ。こんなにも「醜い」私に付き合ってくれる人たちがいたことに、そして全ての現象に感謝をしてます。

くらげ 

【ココロが腑に落ちる】

そうしてなんとか「普通」をやり過ごしながら、「学ぶべきものはナニカ」と自問自答の途方に暮れる作業を繰り返していた2009年。ベッドの上で目を閉じて臥床し、頭を空っぽにしようと努力しているときに「無の先にある無であって無でないような感覚」に襲われました。一瞬で現実に戻りましたが、その時の背中から襲ってくる恐怖感は忘れられません。たぶん、そのとき私は一度、精神的に死んだんだと思います。そこから今まで積み重ねてきた知識や経験が、自分の「土台」の作り変えられるところを「自動思考」的に作り変えちゃいました。いや~長い年月に比べたらあっという間すぎてビックリしましたよ。そしてちょっと「死にたい」の自動思考が少なくなってきてるかな?と思っていたら、いつの間にか生きることが「楽」になっていたんだと気がついたんです。生きている時間、この耐え忍んで途方に暮れる時間も「薬」なんですね。そして私は「大丈夫な私」になりました。

v(´∀`*v)ピース

そう、過去を抱きしめ「今」の私を大切にしながら生きられる私に。

そして1人でしたこの途方もない作業も70%くらい完成したなぁと思ったところで、ふと、「あぁ、もうこれ以上、今の状況で学ぶべきモノはないなぁ。ココに留まっている必要はなくなったんだ」と思ったんです。ついに、やっとこさ、「負に落ちていた」私のココロが「腑に落ちた」んですよw生まれ変わった私は、あと残り30%だと思って、すかさず次なるステージを求めました。これまでの人生で繋がった全ての縁を切ってお見合いでもしようかと考えた矢先、気管支炎喘息やマイコプラズマ肺炎になる一歩手前という感じで倒れちゃったんですよね。で、そのとき何故かタイミングよく旦那さまから連絡があって、いろいろあって復縁をすることになりました。別れてから6年経っていましたが、旦那さま曰く「旅をしてきた」らしいですwそして2017年の今、旦那さまと再開して5年目になりました。こんな「醜い」私のところへ趣味悪く戻ってきたので、私の中では「無条件の愛もどき」が「ちょっとだけ真実かも?」とレベルアップしていました。それでも旦那さまを疑いもし、腹も立ち、責めたり許したりを繰り返しながら、なんだかんだですぐに娘も産まれ、今、やっとこさ落ち着いた日常があります。娘を出産してからの3年3ヶ月はあっという間でした。そして完成度が90%というところまできた私は、娘へ「負の遺産」を残さないように、この幸せをずっと大切にしていきたいと願っています。

そういえば出産の時に、私的には痛みで意識を失ってたつもりなんですが「死ぬ、死ぬ、助けてー」と叫んで我に返ったというエピソードがあります。結局のところ、究極的には死にたくないという事実に直面しましたw分かっていたことだけど、あのときは恥ずかしかったなぁ。そして入院先が最悪だったのか、単なる行き違いだったのか、成長曲線よりたった6g少なかっただけの娘が入院となり、それを知らない私は医療の邪魔をしたらいけないと考えて、なかなか思うように産まれたばかりの娘と会えず、会えるのは授乳のときだけみたいな感じで、結局、出産前後で不眠症になって、一日中泣きまくって、睡眠導入剤を頂いて旦那さまの付き添いで眠ったというお恥ずかしいお話もあります。

迷信めいた「病は気から」もある程度の効果はあります。だから「私は大丈夫、全てが上手くいく」と私は暗示をかけ続けましたが、それでも脳内分泌って制御できないから大変なんです。お薬で簡単に完璧にコントロールできる時代がくるといいですが、それはそれで恐い気もしています。人間の脳を完璧に制御できる薬…もはや人間というよりロボットみたいな印象になりますね。果たして、お薬を飲んで「完治」した私は、「私」なのだろうかと。医療の名のもとに、法律や道徳や経験をもって、誰かが「社会的に矯正をすべきストッパーの外れた人間」を見極め、薬で完璧な制御を施し、「完治」させる。その善悪は私には計れませんが、私は「薬で完治した私」より「ありのままの今の私」が素敵だと思っています。

・・・と、勘違いされそうなので一言。急性期にガツンと薬で押さえ込むことは、自傷他害させないための、理性ではどうすることもできない「ストッパー」になるので、精神薬も大事だと思っています。あくまでもその後の話しをしていますよ。内服を続けながら、脳内(ココロ)のバランスを探る作業や、「学ぶべきものはナニカ」と自問自答して欲しいと願っているのです。いつまでも危機へ留まり続け嘆くだけの日々を送る必要はないし、医師は患者さんの話などを聞いて総合的に判断し処方箋を書いてますが、バランスを探るのは医師の仕事だけではないのだと。重度の知的障害などを持ち合わせていないというのが前提で、そしてこの感覚、私は自他ともに厳しすぎるのかもしれませんね。

【世代連鎖を断ち切る!!!】

突然、「世代連鎖」という言葉を書きました。看護学生時代に出会った一冊の本、長谷川博一さんの「たすけて!私は子どもを虐待したくないー世代連鎖を断ち切る支援」の影響を強く受けています。私はこの本を元に、自身を題材とした卒論を書きました。いやー若かったです。そして今回の記事、卒論ver.2を書き上げようとしている私って、どれだけ面倒くさくて難儀な奴なんだと思います。そんな私が今思うのは、「世代連鎖を断ち切る!!!」って、とっても難しい気もするけど、案外とっても簡単なのではないかということです。ただちょっとだけ「私のようにはならないで」と「間違ったしつけ」をしないように心がけながら、娘を育て上げるだけと言いますか。子どもって勝手に育っちゃう印象を持っているので、すべてを吸収してしまう「純粋無垢」であるが故に、いつも「とうちゃんとかあちゃんの良いところだけ真似してね」と、たっぷりの愛情を注いでいます。そして娘が「悪いところを真似しても、それはそれでしょうがないよね」とたっぷりと愛情を注いでいます。娘の全てを承認してあげることが「無条件の愛」であり、それが娘の「安全基地」となり、分かるはずもない世界が「恐い」という感じが薄まることで、世界と行き来し、確かな「土台」が作られていきます。3歳になった娘は「怖くて恥ずかしいけど、リトミックに行きたい」と頑張っています。ある程度「土台」が完成する3歳には、やっぱり子どもは子どもの世界へ行かないと、日常で「親」とばかり比べてしまい、「できない私」と思い込んでしまいます。「間違ったしつけ」をしないように努力していても、外の世界に触れないと「自己否定」へと駒を進めてしまいそうだから気をつけていきたいところです。娘は3歳という体と、それよりも高い精神年齢を持ち合わせています。それは生まれ持った「賢い」という言葉で片付けるには少しだけ「枠」を超えているので、いつか、「私は「異質」なのではないか」と疑問を持ってしまうことを親として心配しています。だからこそ、この世知辛い世の中を生き抜くだけの術を身につけさせてやりたい。それは誰しもが、私の母親であっても、親として願うことだと思うので、私は自分の母親がした「間違ったしつけ」を「擁護」したのです。

近年「褒める育児」って流行ってますよね。ここで気にかけて欲しいことは、「無自覚」に何でもかんでも子どもに起きる全ての現象を「褒める」ことが承認してあげる「無条件の愛」ではないということです。究極的には、自分や他人の命を危険に晒すことは絶対にダメだと教えなくてはいけません。こういった危険を伴う場面で子どもをしつけるとき、親が「叱る」と同時に感情が伴って「怒る」のは当然であり必要なことです。子どもへの「必要な抑圧」は、「人間であるためのストッパー」という「土台」づくりに欠かせないからです。しかしそれ以外のしつけは、親の価値観に左右されながら「~してはダメだよ」と教えていきながら、上手くできたことをその時々で、ただ褒めてあげるだけなんですよ。ここで「叱る」と「怒る」の違いが分からなくて履き違えている人って多いですよ。「~してはダメだよ」と教えるとき、教えるだけでなく、その子どもの行動を「無自覚」にも「ダメだと言いながら許している」ことに気づかない親は本当に多いです。「ダメだよ」と口では言いながら、結局口先だけで態度が伴っていないから、子どもにちゃんと伝わっていないんです。それどころかダメなことを「ダメだ」と気づけてさえいない親が増えてきています。命に関わらないことであればさほど問題は無いという人もいるでしょうが、日々の小さな積み重ねが大きなことに繋がることを「自己否定してしまう私」は知っています。あと「褒める育児」を実践するためなのか、「無自覚」なのかは分かりませんが、親が子どもの機嫌を伺って心なしかビクビクしている人までいますよね。どれだけ親としての「自覚」と「覚悟」と「自信」が無いんだろうって感じです。「自己責任」をとれない「無自覚」な人の多い、倫理観や道徳観について考えを深めようとしない親が存在する、そんな世知辛い世の中を私は憂いています。

日本は集団を大切にする民族性だ、とよく言われます。そもそも人間という種族がそういう生き物ですよね。それは良い面もありますが、悪い面も持ち合わせています。その悪い面が「世代連鎖」で社会全体に蓄積されて、そうしてでき上がった「負の遺産」が今の社会不安を作り上げている、そんな気がします。分かりやすい例は、いじめ問題です。集団を大切にする空気が、集団に馴染めない人への攻撃をそれとなく正当化してしまうんです。表向きは「いじめ、良くない」「いじめ、カッコ悪い」と言われていても、です。そしてそういった他害行為をする人達は、「間違ったしつけ」を受けて育ったんだと思います。だからといって許されるわけではもちろんありませんが。…凄いですよね。大人の世界にも「普通」に存在するいじめを、「ダメなこと」として子どもに考えさそう、学ばせようとしている、しかも「子ども」は大人の世界にも「いじめ」「排除」があることに何となく気づいている、という意味の分からない状況ですもんね。何もしなくちゃ始まらない、「はじめの一歩」が大切なのは間違っていません。でも上から「強い」大人が「いじめはダメなこと」と、さも分かっているかのように教えて、後は「弱い」子どもに「いじめ」の責任を押しつけるだけではダメだと思います。「大人も分からないから一緒に考えてくれる?」っていう謙虚な気持ちが「はじめの一歩」だと嬉しいなぁ。

「負の遺産」が「間違ったしつけ」をする親を作り、その親のもとで「土台」の不確かな自信の無い子どもが育ち、必要以上に萎縮したり自傷行為をしたり他害行為をしたりするようになり、やがてその子どもが親になり、「間違ったしつけ」をし…「負の遺産」が「世代連鎖」していきます。だから「間違ったしつけ」のもとで育った大人が多いことは「しょうがない」ことでもあります。では「世代連鎖を断ち切る」にはどうすれば良いのでしょうか。理屈だけ、口先だけで叱らないこと、世の中の「負」を下手に隠そうとしないこと、私はこれが「世代連鎖を断ち切る」ための一番の方法だと思っています。叱るときは感情を伴っても良いと思います。そうすると機嫌次第で一貫性に欠けることもあると思いますが、「愛情」がそれを補ってくれるので大丈夫です。もちろん「愛情」に甘えず、一貫性に欠けたことを自覚したときは、それも子どもに伝えれば良いと思います。大人だけど間違っても良いんです。それよりもきちんと謝ることが大事なんですよ。親が「謝らないほうがカッコ悪いこと」を知っていると、その時、子どもが100%理解できなくても、ちゃんと「土台」の材料になっていきます。子どもだからどうせ難しい話は分からないだろう、と考えて伝えることを怠らないようにしないといけません。それは言葉の通じない赤ちゃんのときであってもです。そうすれば子どもに「学ぶ力」や「選択できる力」を養わせていけると思います。そうして育った子どもは、ココロが安定している成熟した大人になっているので、親になったときに、きっと「間違ったしつけ」はしないと思うのです。

娘の反応を見ながら、成長に合わせて何事もバランス良くを心がけ、しつけの一貫性に少し気をつけながら、「叱る」と「怒る」の違いを履き違えないよう、生き抜く術を教えながら、娘を一人前に育て上げることができたときに、私は「完全な私」になれる気がするし、私が母親から受け継いだ「負の遺産」も「世代連鎖」しないのではないかと考えてます。ここで言う「完全な私」とは「自己否定してしまう私をココロから承認してあげた私」です。つまり他人からたくさんの承認をしてもらわなくても良い、他人から少々否定されても良い、渇愛ちゃんが「助けて!」と叫ばなくていい状態ですね。「世代連鎖」を断ち切った私…そんなカッコいい私になりつつありますw

【しょうがない】

知識や経験を得ることで、そして途方に暮れる作業をすることで、「過去の私」のための「安全基地」を「今の私」が作り出し、「過去の私」には手のつけようがなかった「土台」を「今の私」は自力で作り治せました。「三つ子の魂百まで」を信じてるので、「三つ子の魂」を作り治せた私は、凄いことを成し遂げたんじゃないかと思っています。そういえば「再誕生療法」が注目されたこともありましたね。意図的な退行療法とでもいいますか。その理想形かもしれませんね。常に答えは私の中にしかないので、「学ぶべきものはナニカ」という自問自答の途方に暮れる作業をして「ココロが腑に落ちる」まで探し続けました。親から得られるはずだった「無条件の愛」によって作られる「安全基地」を、大人になった私が「時間と知識と経験」という「薬」を使って自力で確保し、「土台」まで作り治せた。もちろん旦那さまや娘、そして私を取り巻く全ての人たちが貢献してくれていることは忘れちゃダメですけどね。

そして今でも人を「無自覚に」信じることはできないけど、できる限りは信じてみたいと素直に思える私がいて、そんな私を「醜い」と感じても、それで良いんだと素直に思える私がいる。信じてみてもし裏切られたら悲しいけど、ただそれだけであって「必要以上に」悲しまない「大丈夫な私」がいる。だから私は、決して「ダメな子」「いらない子」ではなかったのです。「自己否定してしまう私」を「醜い」と今でも感じますが、「持って生まれた気質に間違ったしつけが重なって、安全基地が不完全で不安定だったんだからしょうがないよね」と幼い頃の私を素直に思いやってあげられる。10歳ごろから「死にたい」と願ってきた私。そして「ココロを飼いならすことができる私」を目指した15年前の私には、こんなにも「大丈夫な私」と、副産物の「旦那さまと娘」を手に入れられるとは想像していませんでした。「生きたい私」「死にたい私」「幸せな私」「醜い私」「純粋無垢な私」…そんな「様々な私」が混在してることを「矛盾」と感じることなく「ありのままの私」を「承認」できたから、「全ては自己満足に集約し、全てに意味があり、全てに意味はないのだから」とココロに深く刻み込まれ、私は「生きること」が「楽」になったんです。

なにせ自覚的に全てを「しょうがない」で片付けちゃうんですから。

時には傲慢に、「死にたい」と自動思考に陥った頭を「しょうがない」と片付けようとすることもありますが、それでもどうにもならないときには、旦那さまがいなしてくれています。安全基地の役割をしてくれるんですよね。だからこのバランスのとれた両親に育てられている娘が、正直、羨ましいw親子だから良く似てるんですよね。持って生まれた気質。でも「似て非なるもの」という感覚を忘れたらいけないんですよ。実の子どもとはいえ、身内であっても「他人」なんです。もちろん全力で守り育てる、「無条件の愛」が前提の話。娘の笑顔や成長を見るたびに、「もう私は大丈夫」だと「安全基地」と「土台」が強固になっていく感覚。それは娘を育てながら、娘に幼き頃の私を投影して、幼き頃の私を育てなおしているからです。そして残りの10%、私では作り変えることのできなかった土台。この土台を作り変えられるとしたら、たぶん娘だけだと思っています。もし作り変えられなくて「私」が完成しなくても、私は大丈夫。今を楽に生きることができて、とても幸せだと感じられるからです。よく言う「足るを知る」ってやつですかねw

そうそう。「世代連鎖」といえば、どうしても親との対峙問題が浮上してきますが、私は親と対峙はしません。親と対峙するのがちょっぴり怖いのも本音ですが、対峙しなくても「大丈夫な私」がいるからです。むしろ対峙するのは労力の無駄だし、そもそも私は最初から「優しい子」くて「良い子」なのです。子どもが自立した老年期にある親を引っ張り出して「貴方のしつけは間違いだった」と指摘し、わざわざ「予期せぬ痛み」や「更なる痛み」を与える必要はない。それこそ価値観の押し付けをしてしまい、私が嫌う「傲慢」で「無自覚」な人間になってしまいます。だって、かつては母親も「無自覚」にも「世代連鎖」を受けた子どもだったのだから、「娘を一人前に育てることに必死だった」ので「しょうがなかった」ことなのです。代わりに「決して私はダメな子ではありません」という無言の決意をしています。

「条件付きの愛」とはいえ、私は「愛されて育った娘」であると、そうでありたいとココロの奥底から強く願い、そうだと知っているから「今」の私を形成することができました。ときおり母親から孫を通して反省の弁めいた発言があったりして、「無自覚」なのか「自覚」しているかは分かりませんが、それはそれで釈然とせず、そのおかげで頭の調子が悪くなったりすることも多々あります。でもそれもまた「しょうがない」のだと思うようにココロの中でいなすように努力しています。母親への複雑な想いは拭えませんが、私から母親に「安全基地」を与えようと努力しているんです。精神的に「親を捨てた」という「醜い私」にはなりたくないのです。罪を憎んで人を憎まずってやつですかね。それでもやっぱり「無自覚」な親のことは大嫌いなんですよ。相変わらず好きだと思える部分は少しだけなのですが、それでも娘のおかげで「大きく育ててくれただけで感謝」と思えるようになりました。

さて、親をココロから許す日が来るのかは不明ですが、たぶん許せるとしたら、もし母親に関して「ココロが腑に落ちる」ときが来るとしたら、それは「親の介護問題にいよいよ直面したとき」、「親が生死を彷徨うとき」、「親が生を全うしたとき」、「完全な私となったとき」のいずれかだと思います。別に許せる日が来なくても私は私に変わりないし、世間体的には「普通の親子」を演じていますけどね。勝ち負けでは測れないけど、私のほうが成熟した大人になれたんだと思ってます(*^^*)

【おわりに】

さてさてなんだか記事が大作になりましたが、つまり「私の自立の最終段階」というところでしょうか。ここまでお付き合いくださった方、どうも最後まで読んでくださりありがとうございました_(._.)_

でも【おわりに】まで来たのに、まだ「父親」のことについて触れていません。それは父親が、母親から怒られている私に「無関心だった」か「一緒になって怒っていた」のどちらかの記憶しか無いからです。父親は無口で、他人との関わりを億劫がる人です。だから「親」というカテゴリーに入れて登場しないんですよ。両親ともに「無条件の愛」を私に注いではくれなかったのですが、それもまた「しょうがなかった」のです。それは不器用な父親にとっての生き抜くための「処世術」だったのでしょう。

私は自分を治すために「学ぶべきものはナニカ」と自問自答する途方に暮れる、かなりの苦痛を強いられる作業を繰り返して、90%ぐらい治った私を手に入れました。それは私にとっては「確かなもの」です。だからこそ、人間である以上「無自覚であり続けること」は「罪」だと考えています。良くも悪くも「無自覚」から産まれた「負の遺産」がそこら中に溢れている世知辛い世の中。「異質」であるからこそ、「みんな違っても大丈夫なんだよ」と、これからも「お節介おばちゃん」を基軸に、私はまた一歩前へと進みます。どうか皆が幸せに過ごせますように。そして娘が健やかに成長し、逞しくこの世界を生きていけますように☆

純粋無垢 
(生後2日目のときの娘)

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