まるっとゆめ♪note 仕事を休む=サボる=怠惰という「空気」
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ぷろふぃーる
5歳の女の子のかあちゃん
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このブログは育児のことをメインに、人生において「学ぶべきものはナニカ」について「誰かのナニカの足しになれば」と、自分の考えていることを発信中。

かあちゃんは「真面目でチャランポラン」になることを目指し、「まるっと」人を包むような優しさを持ち合わせていけたらなぁと思っています♪

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仕事を休む=サボる=怠惰という「空気」

私にも「普通」に生きていくために、やり過ごすための手段として、仕事や予定に追われてみた日もありました。「死にたい」と思うような人は、真面目で優しくて周りに遠慮しすぎてしまう人が多いので(素敵な私のことですw)、環境や状況に押しつぶされないよう、どうか心身を休めて欲しいと願っています。

「死にたい」と思ってしまうくらい辛いときに「仕事を休む」ことは、やり過ごすための、生き抜くための手段です。ここで真面目で優しい人って、「私が休んだらみんなに迷惑をかける」とか「生きていくためにはお金が必要だから休めない」とか考えてしまいますよね。この言葉は、時に自分のココロを奮い立たせるための手段なら使っても問題ないのですが、無責任なムリの積み重ねほど危険なものはありません。ムリをした私が習慣化されると、周りの人は少しの心配はくれても「あの人はこんなもんだ」とヤバイ状況にあるとは気がついてくれません。そして自分ですら「私はこんなもんだ」とムリが積み重なっていることに気がづいてやれません。

結果、良い日も悪い日もあるでは済まされない、誰にも認識できないレベルで心身ともに疲弊していき、いつの間にか瀕死状況に陥っています。できたらこの瀕死状態になる前に、誰かが何かしらの手を打って欲しい。多くの人は、所詮、社会の駒に過ぎず、でも身近な人にとっては大切な人なので、自分で自分を大切にできる人になって欲しい。自分を守ってやれるのは自分だけしかいません。決して生きていくための手段に使われることがないように気をつけて下さい。そんな訳で私は「仕事を休む=サボる=怠惰ではない」と主張しています。どうして自分の命を守るために、他人に許可を、承認を得ようと思ってしまうのでしょうか。その思考が間違っていると思いませんか。そんな想いで、誰かのナニカの足しになれたらとブログを書いています。

私が幼き頃に感じた「お母さんは私が死んでも悲しんでくれるだろうか?」というの疑問。それは日々、完璧を求められ「ダメな子」として生きていた私が、毒親から受け取った無言のメッセージ「私が死ぬことでお母さんは幸せになれる」が隠されていました。間違ったしつけの積み重ねは、幼い子どもが間違った思考を会得するには十分に悲惨だった。そして減点方式の世知辛い世の中、この社会にはたくさんの「ダメな子」がいるので、無自覚にも「私が死ぬことで周りの人が幸せになる」と間違った思考を気づかずに生きている人は多いはずです。だからうつ病の末期になると、気づかないままココロが壊れているか、もしくは気づかないまま命を絶っているかになるのでしょうね。

人は、痛みや苦しみに支配されきってしまうと、理性がぶっ飛んで頭の中が真っ白になり、その苦痛から解放されるために、自分を生かすかのように間違って死を選ぶのかもしれません。魔が差して死に誘われるかのように線路へ飛び込んだりする人がいる。そしてもしかするとその人は飛び込んだ瞬間に意識が戻るのではないかと想像し、その悲惨な末路に吐き気がしてきます。なぜそんなことを想像するに至ったかと言うと、私が娘を出産したときに、医療スタッフや旦那さまには意識があると認識されていて、でも私は意識が無くて、痛みを痛みとして認識できた時に「死ぬ、死ぬ、助けてー!」と叫んで我に返ったから、という経験があったからです。我に返った後「今、意識が無かった」と説明したのですが、誰にもピンと来ない表情で処置や応援をされ、旦那さまからも理解されていないことに気が付きました。私は出産中にいつの間にか、気がつかないうちに理性がぶっ飛んでいたのです。そして我に返った瞬間から「私がしっかりしないとこの子を産めない、この子が苦しむ、死んでしまう」と覚悟が決まったように思います。もし男性が出産すると痛みで死ぬかもしれないという説があります。あと群発頭痛という病気の人がいることを知りまして、それは別名、自殺頭痛とも呼ばれていて、極度の痛みから死を選ぶ人がいるそうです。他人からの認識だと「死を選ぶ」なのかもしれない。痛みの閾値は個人差があるのでしょうが、人は苦痛に支配されきると自動的に死を選ぶようにプログラムされているような、そんな気がしてきます。

もちろん自殺と出産では全く状況が違います。私が生きることを選択する理性を持ち直すことができたのは、出産という状況がそうさせただけなのだと思います。生きながらえるというのは理性を持ち直すチャンスがその人に何度訪れるかというのことが「鍵」になるのかもしれません。言い換えるなら、理性を持ち続けるために、命をつなぎとめるために必要なことは、その人が俗世との「しがらみ」を、「縁」をたくさん持ち合わせることなのでしょう。だから精神科医療でも一番大切なのは「人の温かみ」だと思うわけで、でも、縁を持ち合わせても理性で「苦痛の中でも生きること」に留まっているだけなので、いつでも振り切れる瞬間がある。で、それはうつ病だからとか、そういう話ではないんだろうなぁと思います。誰にでも起こり得ること。そうであるならば、同じ「生きる」であるならば、苦痛ではなく、自分が思う「楽」を手に入れて生きていくほうが賢いと思います。楽しく生きなきゃ大損ですよw

本当かどうかは分かりませんが、日本の自殺者は3万人どころか11万人という話もあります。多くはうつ病を発症していて、診断書があっても「甘え」と言われてしまう日本社会。自殺をして、初めて「本当にうつだった」と証明される空気。最近は専門用語ではない「新型うつ病」とか着目されたりもしていたので、なんか診断名を増やして儲けたいだけな気もしてくるし、そうではない、結構若者が苦しんでいるみたいだから助けなくては、と安易な発想な気もします。社会の負の世代連鎖、息苦しさや閉塞感とかの「空気」がそうさせているのかもしれません。

確かにね、厳しいようだけれど「甘え」ってあると思うんですよ。それは他人任せというか、自分に責任を持っていないというか、無自覚に生きている人のことだと考えています。でもそれは「責任を持たせてもらえなかった」、つまり「無条件の愛」の元で育つことができなかったので仕方がないことだとも思う。だから「甘え」ではないとも言える。そして「条件付きの愛の元」で育った人は意外に多く、また減点方式の世知辛い世の中だから、みんなしんどいので、生きていくのは「こんなもん」という空気だから、ちょっとでもダメなそぶりがあると「甘え」に見えるし、また羨ましく思うのかなぁなんて思ったり。でもそんなこと考えながら生きている人は少数派なので、ただそういう「空気」だけがあるのだろうけれど、この「空気」が、もうちょっと肝要な社会になって欲しいし、腫れ物にさわるような社会でなくなって欲しいなぁとも思うんですよ。

あーややこしやー(;´∀`)

それでも休みの日に遊びに行ったり勉強会へ参加したりと、他の人が簡単にできていることが自分にできないというのは、どうしても辛く感じてしまいますよね。この身近にいる活発(外向的)な人は、社会や他人と関わることで生きていくエネルギーを蓄えることができる人らしいですよ。噂によると、社会の大半は活発な人ばかり。もしそうであるなら、少数派が生きにくくても仕方がないのかなぁって、だからただそういう「空気」なんだぁって、なんとなくうなずけますよね。無自覚に生きていても、生きていくエネルギーを蓄えることができて、難なく生きていけるのだから。

最近「内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力」という本があることを知りました。私はこの本を読んでいないので、ココで話を持ち出すのはちょっと無責任だとは思いますが、その感想とレビューを書いてあるものを読むと、自分だけがそんな考え方をしていたのではないと、少し知ることができてとても良かったです。いやーこんな本があると知っただけで、ブログの記事を書く気満タンになる私は、かなりの内向的人間ではないかと思いますw自分がどれくらい外向的・内向的なのか、どんな感じで持ち合わせているのかは、自分で考えるしかありませんが、その作業は自分で自分を承認できるようになるために必要なことですよ。

運良くなのか、運悪くなのかはその人の考え方次第ですが、私は自分を見つめたりすることで生きていくエネルギーを蓄えることができる人だったようです。だから気心知れない他人と関わることはかなりのストレスになります。でも世知辛いこの世の中で、どうにかして生きていかなくてはならない。自覚的であるなら死を選んでも良いと考えている私が、瞬間的にそれを選択する覚悟を決めたとしても、連続した意識の中では次の瞬間に判断が翻ります。そうして私は生きながらえてきました。誇りある切腹やお国のための殉死など美化された死の覚悟は、今の時代にも形を変えて受け継がれていますが、所詮、覚悟なんて瞬間的で移ろいゆくものです。覚悟を継続させることは非常に難しく波がある。だから苦痛から逃れるために死を実行するというのはとても難しい。だから私は生きながらえることを、苦しみ抜く覚悟を決めたのです。自分を「楽」にしてやるにはどうするのか、何を選んで生きていくのか、やり過ごすのが精一杯の中にあっても、可能な限りいっぱい考えてみる必要が、自分を見つめる必要があると考えています。

真面目で優しくて周りに遠慮しすぎてしまう人は、「私が死ぬことで周りの人が幸せになる」という間違った思考、刷り込みに気づいてください。そして真面目で優しくて周りに遠慮しすぎてしまうことにプライドを持って、「死にたい=楽になりたい」のだから、「死にたい」ほどに辛いときに仕事を休んだ自分を、家でゴロゴロしている自分を、いーっぱい褒めて、承認してあげられるくらいに強くなりましょう。最初は、自分を褒めるという「形」だけでもいいです。同じ思考や行動をし続けると、習慣化(強化)されて、やがてそれが現実になります。それは間違った思考で生きてきた自分が証明してくれているので、いっぱい考えていると分かってくると思いますよ。

もし仕事を休んでお金がなくなったら、最悪、生活保護を受けたら良いです。真面目で優しくて周りに遠慮しすぎてしまう人ほど、躊躇してしまいます。自分でできないのであれば、とりあえず受診と診断してもらい、医師の判断のせい(悪者)にしてしまうのも手でしょう。そのほうが受理されやすい気がします。でも「死にたい」状況であり続けることは、視点を変えるとある意味「楽」でもあるので、無自覚にも病気に留まり続けることを選んでいる人がいるから「甘え」という空気があったりもします。そのあたりを良く考えながら、「甘え」と言われてカチンと来るのであれば、心身共にしっかりと働けるときに働いてくださいね。社会は、というより、ココロ優しい身近な人はきちんと頑張る人は見捨てないし、きっと応援しくれる人ばかりだと思いますよ。少なくとも私は応援しています・・・って、本当に真面目で優しくて周りに遠慮しすぎてしまう人は、怠惰であることを嫌うはずなので、どうか自分を責め過ぎないでくださいね。

こんな感じで理想(正論を含む)と現実とを比べながら、「自分に見合った妥協点」を自分で見つけて、自分で自分の人生を自分で選んで生きていると、やがて自分に自信がついてきて、おのずと自分に責任が持てるようになります。それはちょっとずつ、自分では分からない成長かもしれないし、分かりにくいから辛く感じることも多くて途方に暮れる日もあるけれど、やがてこの世知辛い世の中を「楽」に生き抜くための力になることを、私は知っています。

現時点で、理想と現実ばかりが無自覚に見えて「死にたい」と嘆いているだけの人には分からないこともあるかもしれませんが、「死にたい」と思っても良いとココロから思える自分に出逢えるだけでも、とっても「楽」になりそうな気がしませんか。つまり自分に責任が持てるようになると、「死にたい」と感じている自分を客観的にバカにできるようになるんです。だからピーマンの定義をしてみたりして遊んだりしています。

ちなみに私の旦那さまは、ちゃんと自己承認ができている人です(つまりお調子者ですw)。どちらかといえば内向的ではあるけど、外向的でもあるという、どちらでも自分の意志で生き方を選べるので、私の中では「最強な人」という位置づけになります。それは羨ましいのと悔しいというのも本音ですが、自己承認が上手くいっていなかった私が目指したのは、内向的であることを極めきることによって自己承認をしていき、外向的な人の真似が「難なく」できる私になることでした。真似をするときに感じるストレスを上手くコントロールしながら、ストレスへの強度を上げていくだけで、できるだけ「最強な人」に近づくだけです・・・って、まだ未完成ですが、かなり近づきましたよwなので「自分に見合った妥協点」を見つける途方に暮れる作業をしながら、外向的な人からみたら僅かでしかないけれど、私はとっても「楽」に生きられるようになりました。

どうか皆さまがココロ穏やかに過ごせますように☆

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omment

こんにちは
悩みのない人間なんて・・という、言葉を聞いたことがありましたが、
「死にたい」は、裏返せば「生きたい!」です。

長い人生には、ほんとに何度死にたいと思う場面に遭遇するか知れません。
その中のひとりです私も。
それでも、まだ私生きてます(爆
ママの顔、ママの背中、ママの・・すべてが子供の宝物です^^

kantansu URL | 2017/10/05 16:39 [ 編集 ]

Re: こんにちは
kantansuさま、コメント嬉しいです(*^^*)


「死にたい」は、裏返せば「生きたい!」ですよね☆

なんで間違った感じで「生きたい気持ち」が発動しちゃうんでしょうね。生きるのが下手というか、もうちょっとDNA的にどうにかして欲しかったのですが、外を開拓する人と内を開拓する人が、人間を繁栄させるために必要だったのかなぁなんて諦めていますw

私の良い面も悪い面も、すべてが子供の宝物となるように、できるかぎりは素敵な母親でありたいなぁと願っています。

ゆめ URL | 2017/10/05 20:33 [ 編集 ]

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